昨日のブログでは無常に期待して『変わる事』に気持ちも高まった。
でも人の根本はなかなか改まらないと言う現実を今日は思い知った。
笑顔で、本当は『こうしてほしい』と思う事をストレートに伝えたり叱ったりせず、よい行動や嬉しかった事を褒めて良い方向に持って行く。
そういう風に『心は鏡』と自分を言い聞かせて、笑顔も交えて育てて行く。
テレビでは『人は褒めないとダメ』みたいな風潮で啓発してくれているけど、本当にそれでいいのか?と迷走する。
ボクが揺らいではいけないのは、お客様に『お電話くださってありがとう、ご予約をくださってありがとう、お越し頂きありがとうございます』と言う気持ちを忘る事なかれ!と訴え続ける事。
そして、ひとたび敷居をまたいでくださったお客様にはお支払い頂く対価に十二分にお応えし、『また来たい』と思って頂く事。
うちのスタッフのほとんどは理解していると思う。
でも中には分からない子がいるのが今日の現実。
『たくさんお給料が欲しい』『はやく帰りたい』は理解出来るが、それが先ではだめ。
そう言ったものは、すべて『お客様にお喜び頂けた』『たくさんのお客様に来て頂けた』と言う事を積み重ねてはじめて担保される。
お客様に喜ばれず、技術の鍛錬もせず、自分の好きな仕事だけ受けて、自分の思うだけの収入が得られるだろうか?きっとそれに見合う売上げしか上がらない。
1つ言って10分かる時代ではないのは、分かっている。
考えるとか禅定の精神が絶滅危惧にさらされているのは分かっている。
もはや、自分の都合や欲望の前では、お客様がどう思おうが会社がどう思おうがタイムカードを打刻した間の賄いさえ貰えれば無情でよいのだろうか?
無情には無情で応えるしかないのか。
情で諭しても、無情に返されるなら。
心は鏡。お客様に『ありがとうございます』という気持ちでお応えする事で、お客様に『また来たい』と思って頂けて、そののちお気遣いを頂ける事もある。
先にこちらの都合ばかりを求めても、選ぶのはお客様だ。
最低限、そこだけは理解できないと。
無常に変わりゆく美しさもあれば、無情に壊れて行く美しさもある。むじょうが混在する古都で、変わらない事の尊さと、変わらない事の儚さが、混ざる事なくマーブル状に脳裏をかき回す。いっそリセットしたくなる。
こちらのお客様はジェルネイルで¥8000です。
お客様が画像を持って来て下さいました。
春らしい淡いお色の組み合わせとお花のパーツが可愛いです。