先日から世間を騒がせているアルジェリアのイスラム武装精力による人質事件。
結局、多数の日本人が犠牲になっているらしい。
だけど未だに全容はつかめないらしい。
日本では近年に入ってからは他宗教にも寛容で弾圧や迫害などが見られないせいか、宗教の違いによる戦争や紛争って理解がしにくい。
江戸時代より前はキリシタンへの弾圧もあったし、同じ仏教でも寺どうしでの縄張り争いがあったりと排他的な部分もあったけど、近年はほとんどそんな事ない。
神道も、八百万の神がいて、排他的でない。
特に超寿齢の木や大きな石、山、泉、池、いろんなモノに神の存在を重ねている。
田舎の家には仏壇がありながら神棚もある。
でも本当は、今、世界中で争っているキリストとイスラムも元は同じアブラハムの3宗教なはず・・・
日本のような神と仏くらいの違いがあるなら仕方ないとも思うけど、どうしてなんだろう?
お寺同士争ったように、似た者同士は似て非なる物の原理で喧嘩が絶えないのだろうか?
ただ、イスラム教の興味深いのは偶像崇拝の考えが無い事。
キリスト教ならイエスや十字架、マリア像などの偶像があり、仏教も釈迦・如来・菩薩などの仏様(仏像)がある。
神道に関しては、神器だけじゃなくて、あらゆる物を崇拝してる。
先に列挙した、木、山、石などの自然の物から、偉大な人物が所持していた物など偶像崇拝の固まりだ。
イスラム教でもイエスの存在は認めつつも『教えを説くただの人』と言う位置づけらしい。
アッラーだけが唯一の神として存在するけど、その姿形はなく、形のあるものとすれば教典であるコーランか、祈る時にその方角に向かって礼拝するメッカくらい。
イスラム教からすれば、ノアもイサクもイエスもモーセもヤコブも予言者であり教職である人間で、神ではない。
そう考えたら偶像崇拝も大切な事なのかも知れない。
人々は身近なものに祈りを捧げ、こころの拠り所を近くに置き、心の安定をはかるのだと思うけど、イスラムでは教典がすべてで、神は唯一アッラーだけで他は神と認めない。
日本の神道は特に、実りがあり、水を貯え、動物を守る偉大な山に手を合わせて、水が湧き出る所は水神の存在を重ねて手を合わせ、あらゆる物に感謝して、世の中の八百万の神のおかげで生かされていると言うふうに考えている。
神は唯一『アッラー』だけだと言う考えは『他を認めない』典型だと思う。
イスラム教がイケナイという風には思わないし、キリスト教が悪いとも思わないけど、せめてお互いを認め合って共存出来ないものかと思う。
民族・宗教・国家・人種・・・世の中が複雑になるに連れて、それに反比例するように、原理主義が存在感を増す。
勢力争いにしてもなんにしても、果実をえるのは雲の上の神達で、血を流すのも汗を流すのも涙を流すのも一般庶民。
今回のアルジェリアの事件で、結局たくさんの人が血と涙を流した。
さて、その血と涙で得た果実を口にするのは誰?
雲の上に誰がいるんだろう???
こちらのお客様はジェルネイルで¥7700です。
アートコースのサンプルよりお選び頂きました。
画像では見づらいかも知れませんが、白のジェルの所はストライプになっています。
とてもかわいいネイルです。