今朝、義理の父より緊急の電話があった。
義母が動けなくなり救急車を呼んで、今、病院にいる。・・との事。
家内は血相を変えて急ぎ病院に向かった。
いつもなら12月で週明けで発送もあるわで、「あとで行くから」と言うのだろうけど、救急車で運ばれたとなれば事情が違う。
2時間後、家内が会社に戻ってきて「とりあえず今の所安定していて、検査は受けたけど原因は不明、昨晩、急に足が下半身が動かなくなって、立つことも出来なくなったので救急車を呼んだ」という報告を受けた。
そして一番印象深かったのは病院の看護師さんの一言「これくらいのことで救急車を使わないでほしい」というもの。
確かに結果として命に別条はなかったので、その結果が分かっていたら救急車を呼ぶほどの事ではないだろう。
でも考えたら、年老いた夫婦のどちらかが急に体の半分が動かなくなったら「ひょっとして脳卒中や、くも膜下出血の心配をしても不思議ではない」と思えないのだろうか?
もし、別の結果が出ていても同じセリフを言えたのかな?
もちろん、限られた台数しかない救急車は、命の危険が迫っている人が優先的に使うべきものだろうけど、プロの看護師にそういう風に言われてしまうと、次、もう一度同じような事が起こった時に「また怒られるから救急車を呼ぶのはやめておこう」という誤った判断をしてしまい、結果、取り返しのつかない事にならないのか??
そんなに心配なら、ずっと横で付いていてあげたらいいじゃねーの?
そりゃそうだけど、その家庭にはその家庭の事情と言うのもあって、なかなかそうも行かないのも現実。
地域による経済格差、医療格差、教育格差・・・その格差を埋めるのはそこに住む人々の意識によるところも大きいのでは?なんて思うけど、看護士さんは看護士さんでそう言わざるを得ない現実もあるのだろう・・・・
義父母も家内も看護士さんも、そしてその話を聞いた僕も、皆が皆、奥歯を噛み締めながら納得(?)しないとイケナイという名張市の現状・・・
徐々にでも変えていかないと、僕たちが年をとってこの街で健やかに暮らして行くのにはキツイ街になる。
東京オリンピックが始まる頃は僕も50歳になっている。
え?オリンピックの頃には、そんな年になってるん??それもキツイわ。
クリスマスに向けてチキンの丸焼きを大量に用意しています。
たまにコウモリも混ざっているので要注意ですw